2013年 08月 21日
プラマイゼロ
お盆休みも終了。
仕事に復帰。
しかし
逆に疲れがたまっている…?
午後、振替休日ということで帰ってきた。土曜授業などの振り替えを夏休み中に取れるのだが、きっと復帰初日は1日仕事をするのがきついだろうと、前もって決めていたのだ。「先見の明!」というか、「慣らし保育?」というか、まあ、そんなところである。
帰ってきてぼーっとしていたら、
「こんにちは。」
と、鍼灸師さんの声。
あれえ、予約してたっけ…してたような気もするな…ちょうど具合も良くないことだし、ま、いっか…。
「胃がちょっと…ですね。じゃがいもを電子レンジでゆでて、しっかり租借して、ゆっくりゆっくり食べて胃の粘膜を保護してください。冷たいものの飲み過ぎはダメですよ。」
「次回の予約を…」とノートを出して、あらら?21日は21日でも、今日じゃなくて9月の21日に予約とメモしてある。前回私がまちがえて9月の所に書いたのか、鍼灸師さんがまちがえて8月に来たのか、これは永遠の謎だ。
謎といえば、この前テレビで「音のない盆踊り」のことが放送されていた。昨今は「大きな音」や「騒音」に配慮して、踊る人たちがイヤホンから流れる音楽を聴きながら踊る、というのだ。近所に病院があるから、闘病中の人たちへの配慮ということだった。うーん…
実はわたしは縁日とか花火大会とか、盆踊りとかがいまだに苦手だ。子供の頃、怖かったのだ。縁日はあの怪しげな空気が、まず怖い。うちでは衛生的じゃないからといって、「あんず飴」とか「綿飴」とか、食べちゃいけないものが縁日にはいっぱいあった。いけないものがいっぱいあるあの空間は、キラキラ誘惑の光に満ちて、近寄ると大変なことになりそうな怖さがあった。花火大会は人混みと大音響が苦手だった。盆踊りに至っては、なにが楽しいのかわからなかった。みんな同じ方句を向いて、なにを表しているのかわからないあの手つきや足さばき。しずしず1歩下がって2歩進んだりして、踊り手はいつのまにか視界から消えていく。
あ~こわい。
だから、盆踊りに音があろうがなかろうがどっちでもいいのだが、音のない盆踊りは友達のうちで並んでゲームに没頭している子供たちぐらい不思議なもののような気がする。そのうち音のでない花火なんて、発明されたりして
私は子供の頃の記憶から嫌いになってしまったけれど、怖いけれども美しいものとか、怪しいけれども魅力的なものとか、迷惑だけれども結束力をたかめるものとか、あっていいと思う。あっていいというより、怖いからこそ美しかったり、怪しさが魅力的だったりするわけで、「負」の面をなくしていって、のっぺらぼうにしていくのはなんか、違う気がする。
だから、今日は慣らし保育でいいし、鍼もきょうやってもらえてラッキー!って思う方がいい。ただ、雷が鳴ってきたので、今日のこれからの予定はキャンセルだ。
仕事に復帰。
しかし
逆に疲れがたまっている…?
午後、振替休日ということで帰ってきた。土曜授業などの振り替えを夏休み中に取れるのだが、きっと復帰初日は1日仕事をするのがきついだろうと、前もって決めていたのだ。「先見の明!」というか、「慣らし保育?」というか、まあ、そんなところである。
帰ってきてぼーっとしていたら、
「こんにちは。」
と、鍼灸師さんの声。
あれえ、予約してたっけ…してたような気もするな…ちょうど具合も良くないことだし、ま、いっか…。
「胃がちょっと…ですね。じゃがいもを電子レンジでゆでて、しっかり租借して、ゆっくりゆっくり食べて胃の粘膜を保護してください。冷たいものの飲み過ぎはダメですよ。」
「次回の予約を…」とノートを出して、あらら?21日は21日でも、今日じゃなくて9月の21日に予約とメモしてある。前回私がまちがえて9月の所に書いたのか、鍼灸師さんがまちがえて8月に来たのか、これは永遠の謎だ。
謎といえば、この前テレビで「音のない盆踊り」のことが放送されていた。昨今は「大きな音」や「騒音」に配慮して、踊る人たちがイヤホンから流れる音楽を聴きながら踊る、というのだ。近所に病院があるから、闘病中の人たちへの配慮ということだった。うーん…
実はわたしは縁日とか花火大会とか、盆踊りとかがいまだに苦手だ。子供の頃、怖かったのだ。縁日はあの怪しげな空気が、まず怖い。うちでは衛生的じゃないからといって、「あんず飴」とか「綿飴」とか、食べちゃいけないものが縁日にはいっぱいあった。いけないものがいっぱいあるあの空間は、キラキラ誘惑の光に満ちて、近寄ると大変なことになりそうな怖さがあった。花火大会は人混みと大音響が苦手だった。盆踊りに至っては、なにが楽しいのかわからなかった。みんな同じ方句を向いて、なにを表しているのかわからないあの手つきや足さばき。しずしず1歩下がって2歩進んだりして、踊り手はいつのまにか視界から消えていく。
あ~こわい。
だから、盆踊りに音があろうがなかろうがどっちでもいいのだが、音のない盆踊りは友達のうちで並んでゲームに没頭している子供たちぐらい不思議なもののような気がする。そのうち音のでない花火なんて、発明されたりして
私は子供の頃の記憶から嫌いになってしまったけれど、怖いけれども美しいものとか、怪しいけれども魅力的なものとか、迷惑だけれども結束力をたかめるものとか、あっていいと思う。あっていいというより、怖いからこそ美しかったり、怪しさが魅力的だったりするわけで、「負」の面をなくしていって、のっぺらぼうにしていくのはなんか、違う気がする。
だから、今日は慣らし保育でいいし、鍼もきょうやってもらえてラッキー!って思う方がいい。ただ、雷が鳴ってきたので、今日のこれからの予定はキャンセルだ。
by bel-sogno
| 2013-08-21 18:00